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増税も来たことなので、社会保障について徒然と。
はっきり言いますが、年々増加の一途にある社会保障費を税金でどうこうしようというのは あくまで場当たり的な対処療法であって、それだけで今後何十年もこの社会保障を維持するのは無理でしょう。 ※無理でしょう、の理由に当たる参考資料(PDF注意)。 まあ、対処療法はそれはそれで必要なんですが。 根本的な問題として、人口ピラミッドの変化があるわけで。世代間不平等はこれからも広がることになります。 世代間不平等というと、ついぞ年金のことを彷彿とする方が多いと思いますが、それ以上に問題なのは「有権者の割合」。 いまですら政治家はほとんどが団塊、そのJr世代で占められてるわけですが。 そういった政治家の方々が地域で挨拶回りをするのをイメージすると、相手は大体高齢者だったりする。 集会をしている風景も高齢者ばかりだったり。それで声を大にして主張するのが社会保障の充実。 世論調査によってでてくる関心の度合いのグラフも社会保障が最多でしたね。 でもそれって高齢者にバイアスがかかっているのです。 まあそもそもRDDとかいう電話を用いた世論調査自体、若者が固定電話を持っている比率に則していないわけですし。 でまあ社会保障の話に戻りますが。 これだけ欠陥まみれの社会保障制度が遅々として修正されてこなかったのは 有権者である団塊世代に配慮してるからでもあるから、ということです。 だから、若者を生かすために高齢者に施さない政策は出しにくい。 それでもこの仕組みを維持しようとすれば移民拡充なんて話も出てくるわで。 ただ、我々がこの問題に対して理解しなければならないのは 「政治家であるには高齢者に媚を売る必要がある」「高齢者に媚を売らなければ政治家でいられない」 という状態になっていることそのものに問題があります。 こういうことを言うと誤解されそうですが。 今日のような状態になっているのは、政治家だけの責任では、ないはずです。 政治家が若者に対して演説しても、若者が無関心なのではないでしょうか。 むしろ、若者が声を大にして政治的主張を訴えるべきなのです。 政治的集会というと高齢者の集まりというイメージも払拭すべきです。 そういったイメージを売りつけてきたテレビや新聞は無視すべきです。 もっと若者同士での政治的意見交流の機会を作るべきです。 若者の支持基盤ができれば、政治家も若者寄りの政策に舵を切りやすくなります。 そういった活動をすることこそが有権者としての姿勢であり、民権の意味ではなかったのかと。 それでも、このままでいいというならば。 有権者の割合で負けている若者は、社会保障という法に縛られたまま高齢者の奴隷であり続けます。 で、自分が高齢者になる頃には若者と立場が反転してたりするんじゃないですかね。 冒頭に言ったように、今の社会保障はまず長続きしないんで。 笑えないけど割と現実的な話かもしれんね。後に言う、日本のドM世代の誕生である。 奥ゆかしさが日本人の美点ですが、民主主義は声が大きい人の味方。 ま、これは民主主義自体の欠点、限界かもしらんね。 昔そういうこと言ってる学者さんがいたような気がする。 PR
そしていつもの初詣おみくじである。あけましておめでとう。
去年:小吉 学問:基礎を見直し勉学せよ 恋愛:感情を押さえよ 待ち人:来れども遅し 今年:大吉 願事:思いどおりですが油断するな 学問:安心して勉学せよ 恋愛:思い通り 大吉 待人:来る 早いでしょう なるほど。まあ一応、それなりに叶えたい願望がなくはないし、少しずつ頑張る。 しかし去年のは当たり障りのない事が書いてあるだけでよくわからんかったな。 ここまでがっつり「思いどおり」とまで言われりゃやる気出るな。うん。 半年ぐらいぼけっとしつつ。思い徒然。 昨今の自民圧勝からの保守気運の高まりは、民主党政権とマスコミの過激な左翼表現による 反動保守の流れなわけですが。こういった動きは日本の歴史でも大きなものとして 黒船以降の尊王攘夷運動、五・一五事件以降の軍閥政権の獲得があったわけで。 前者は欧米諸国に対する懸念と、幕府の暴政に端を発して起きたナショナリズム。 後者は軍縮と政治の腐敗から起きた、暗殺テロに起因する政変。 民主党政権の政治は完全に前者をトレースしてしまったわけだし、 sengoku38事件は現代の五・一五事件などと揶揄されたりもして、模倣者を生む危険性をはらんでしまった。 韓国IMFとかの理由はともかく、内閣総理大臣による靖国参拝も行われて この国の民意としては、一連の流れを好意的に受け取っていることも分かった。 個人的な意見としては、私も現政権に対しては今のところ不満はないけども この反動保守の流れ自体を、好意的にばかり解釈するべきではない、といったところ。 隣人を愛するためにと偏りすぎた政治と報道は、むしろ我々が隣人を愛せぬということを自覚させてしまった。 なのに未だそのことに対して、自国の報道も隣人も無自覚なように感じてしまうんだけど、どうなんだろう。 (つまり、これ以上左に引っ張っていればいずれ右に弾けることがほぼわかっているのに、どうして引っ張るのをやめないのかという話。) そう考えたとき、一連の流れを好意的ばかりに見ず、一呼吸おいて客観視しておきたいということ。 これ、当たり前に考えるのなら、世論と国際社会に自身の主張をアピールし続けるために引き下がれないのか。 あるいは右に弾けさせること自体が目的なのか。 他国の民意を蔑にまでして隣人がこのキャンペーンを続ける理由は、ちょっと今の私には想像つかんね。 ただ、日本国内で暴力的なテロが起きる機運が、少したまってきているような気はする。 どういう内容かにもよるけども、場合によっては国粋に一気に広がる危険性もあるわけで。 例えば、もし食品に農薬を混入したのが我々の隣人だった場合のifを考えよう、ということ。 そのとき、仮に自分が総理大臣だった場合、犯人の国籍を公表するべきかどうか、考えてみよう。 この国の人々は、国境がない割に郷土性に理解がある気がするし、その割には外国を知らなさすぎるきらいがあるような。 尊王攘夷だって下関で痛い目見てから大攘夷に転じたわけだし、第二次大戦は言わずもがなだし。 ま、心構えはしておきましょうということで。 いつまでも平和ボケしたまま、国というものの存在に無自覚ではいられなくなると思う。今の私がそんな感じだし。
本日は電王戦第5局をただいま絶賛視聴中。最後まで観れますように。
多少なりとも情報の分野を専攻した身としては、やっぱり興味あります。将棋は初心者の下ぐらいですけども。 子どものころから「いずれコンピュータが人間を降す」ということは常々言われていたわけで。 4局までの結果はドラマでした。 この第5局、どちらが勝ってもドラマです(トラブルがなければですけど)。 某氏いわく人類史上に残る戦いだと。非常に言い得て妙ですね。 人間としては人間を応援したいところ。いずれ負ける時が来るとしても。
先日少し触れた食品のなんやかんやで。
今日のニュースで食品表示法案というワードが出てきたので調べてみました。 ttp://www.jacom.or.jp/series/cat191/2013/cat191130312-20100.php (リンクは農協新聞) ざっと見た感じ、焦点はしばらく前から問題になっていた産地偽装問題に対してのようです。 現法では3つの法律によって食品表示が定められていて 食品衛生法が添加物・アレルギーを、JAS法が原材料・原産地を、健康増進法が栄養成分を定めています。 ただ、栄養成分は任意ですし、原料原産地については加工食品によっては表示するのかどうかの基準が分かりにくい。 それで、今日閣議決定された食品表示法案によって、表示するかしないか煩雑な部分に線引きする、という趣旨の模様。 あとは表示違反の場合の云々を強化とか。この表示法による小売への影響を配慮するというのについては、今は内容がわかりませんが。 まあ確かに加工食品の原産地表示はオマケみたいに思ってたかなぁ。 もちろんこの法案ですべての食品について義務付けられるわけではないと思いますが。 仮に、本当に仮にですが、ありえないと思ってるんですが、TPPがなんやかんやで通ってしまった場合の最終手段に ならんかなぁ。さながらボストンティーパーティのように。 とりま、まだ法律の中身も精査できていないのにごちゃごちゃいうのやめておこう。 日銀のこともあり、しごとはえーですわ。 ついでにTPPについての私見をば。 TPPは、経緯を考えれば前政権の野○首相様のおかげさまで国際社会に対して引っ込みがつかなくなったものと思っています。 そもそも野党時代の自民党もTPPよりASEAN+6のほうがメリットも大きいという主張もしていましたし いまさらでは日本の希望通りなど通るわけがないだろうということも予想はできます。 首相は今も繰り返し、国益を損なわぬようにするということですが、これはすなわち TPPをのむことによって発生する国内産業に対する打撃と TPPを突っぱねることによって発生する国際社会での信頼の低下 この両者を秤にかけ、どちらの選択が国益にかなっているかを計ることでもあるというふうにもとらえられます。 問題なのは、前者はほぼ明確に数値として算出可能で国民にも提示可能ですが、 後者は数値として出すこともできず、外交上の懸念もあって政府が面と向かって言及することもできないという点です。 つまり、後者がどれだけのものか我々一般人には知りようもないというところです。 無論、これらの中間、つまり日本の希望もある程度通すみたいな選択もありうるとは思いますが どれぐらいその可能性がありうるのかはわからないし、望みも薄いでしょう。 まあそもそも私たちは、もう信じる信じないの段階は超えてるわけで。 震災における議員さん方の行動や、国会などの質疑を通して、もっとも我々が誠実だと感じた自民党を信じるしかなかった。 それはたぶん今も変わらないのです。だって他に信じられるとこがないからね。 ただ、黙って見守れとかいうつもりはないです。国政を監視し、声は大きく届けるべし。
最近はよく売国政経のネタ探しにネットサーフィンすることが多くて気づいたのだけど
以外にも○主党政権初期、以前、あるいは○泉政権下の時代、 2chでも表面だって売国が叫ばれていないころから、売国の構造や政治の 暗部、マスゴミを指摘するサイトが割とあったんだな、と思った。 ただ、やっぱりというか、目立つ主張があるのは個人サイト(ブログ)ばかりの様子。 やっぱり日本には、活動的な左翼グループはあっても、右翼はグループすら少ない。 そのなかで目立って活動的なものは、たぶん今はまだ在特会ぐらいしかない。 おそらく、マスゴミと似非右翼のコンボで、中高年を中心に右翼およびネットに対するヘイトが高いってこと。 マスゴミもそれをわかっているので、右翼活動の過激な部分を取り沙汰したくて仕方がない。 結局それで今現在どうなっているかというと。 リーダーシップが苦手な国民性も相まってか、個人レベルでは意見問題提起できる人が多くても それを集約したり周知したり、まとまってひとつの行動にするということがまだできていない。 あるいは周知や知見がマスゴミによって伝わらない。湾曲される。 (まぁ某氏の受け売りに近いけども。) それでもずいぶん世論は変化しました。 諺で言うところの、一石が投じられて、波紋が広がっていく様子を見ているようです。 それもこれもだいたいネットによる部分が多いのですが、ふと考えました。 じゃぁ、未来のプロパガンダ、大衆扇動はどうなるのかと。ネット上で特定の情報に誘導することになるのか。ふむ。 じゃあ一番でかいのは検索システムですよね。実際キッズgooでもあったようですし。 ま、私は危険厨じゃあるまいし、今は全然使いますけどね、先生。心には留めておくようにしつつ。
最近政治の話題ばっかりであれだったので、違う話題を。
今回は食品添加物についてです。書き溜めてたのを貼るだけ。 メーカーが添加物を入れるのは安全のためというのは詭弁であり、その方がより儲かるからである 保存料を使ったほうが腐らない期間が長くなるため、売れる確率が上がる 着色料を使って鮮やかにしたほうが客が手に取る確率が高い 調味料を使ったほうが食品が美味しくなるため固定客がつきやすい (もちろんそれらすべてが悪しきものというわけではない) 添加物の量はラベルに記載されないため、添加物の名前を検索して危険度を見ただけで善し悪しを判断するのは早計である たとえば、香料は多くの食品に記載されているが、どのような香料がどれだけ使われているかはわからない (※原材料に占める重量の割合の多いものから順に記載されるので、量についてはある程度は判別できる) しかし、添加物を多量に使うメーカーは、危険とされる添加物の他にも多くの種類の添加物を使っていることが多いので そのようなメーカーの姿勢から判断すると良い(有名なメーカーほど注意する必要がある) メーカーには大別して、 1.とにかく売るための添加物主義 2.添加物には無頓着 3.添加物を使わないよう配慮している というパターンがある 1はどのような種類の食品にも添加物盛りだくさんであることから判別できる 菓子、菓子パンや加工食品、弁当などのメーカーに多い もっというなら即物的な(買ってすぐ食べれる)若者がターゲットの商品を多く出しているメーカーである 有名なメーカーというのは売れているメーカーであり、売れているメーカーは添加物を多く使っている可能性がある このため、有名なメーカーほど注意する必要があるということになる 2は添加物が入っていたり入っていなかったりするので商品によって分ける必要がある 3は原材料についても配慮されているケースが多いので容易に判別がつく また、使われている添加物が少ないからといっても、別の食品に含まれていると累積値が高くなるので重複がないようにする どうしても必要なものに入っている場合は、週一あるいは隔週におさえる 輸入品の添加物は国産のものと同じ感覚で入っていないので特に注意する 注意すべき食品添加物のうち、よくみるものについてリストを以下に記す
他、○○酸○○(Na、K、Caなど)で普段聞き覚えのないものはあまりよくないものである可能性が高い (以前、チョコレート菓子に着色料として二酸化チタンなるものがつかわれていた。 調べるとクレヨンにも使われるという。食えるかッこんなもーん!) (個人的に地雷率が高い商品はパン屋以外で売っている菓子パン。 あとハム入りのサンドウィッチとかね。大概添加物ずらーっとならんでるから。) 最後に、どれだけ突き詰めても安全性100%なんてことは(自作の農産物でさえ)ありえないので 結局はわれわれ個人がどこまでの危険性なら許容できるかという閾値を設けるしかない (腐った卵だろうと大丈夫と豪語する鉄の胃袋の持ち主なら特に気にする必要もないだろう) その上で、危険性と食生活の充実と価格を秤にかけて適切な食品を選べばよい つまりは単純にリスクとリターンの問題である おしまい。
すこし前に「情報」について口上垂れましたが。
例のじゃあのさんが詳しいことを書いていらしたので、紹介。 ttp://jyaanowww.wiki.fc2.com/wiki/20130317-1?sid=1db0582f2f2cd360b921b7962c6f1f92 数学的に、少し掘り下げて解説されています。 検証していない自己認知情報の確度について、80%という数字を出されてることにシンパってしまった。 去年の6月ごろに似たようなこと書いたからね、私。あれは自己認知情報じゃないけど。 ちなみに、同サイトの次の3月18日の発言集にも関連記事があります。 日常生活から情報の確度について意識するのは、やっぱり大事なことですね。 じゃあのさんについて知らない人は多そうなので解説しておくと。 民○党政権時からぽつぽつネット上にでてきて、以来ソース付きで政治の暗部を引っこ抜いてる人です。 今は複数人いらっしゃるみたいですけど。 張ったリンクはまとめサイトのものなので、興味があれば他の記事も読んでみるといいです。 ただ、政権交代以来の記事は売国奴焙りにシフトしているので 昔のから読み進めていないと、ただのレイシストに見えるかもしれません。 ま、そうでないことは読めばわかると思いますが。 最近では情報のよみとり方として、利害を考えるようにしています。 即ち、だれが得をして、だれが損をするか。物事はいつだってシンプルです。 具体的には、何らかの確度不明情報を得たときに、仮に自分や周りの人がそれを信じたときに 直接的、または間接的に(誰かが損をすることで)得をする存在がいるかどうかを考え、 その存在と情報の内容を精査するという考え方です。 たとえば、あるメディアで「このラーメン屋がうまい」と紹介されたら そのラーメン屋とそのメディアがどこかでつながっていないか調べてみる。 この場合だと、たとえばそのラーメン屋の店主の情報(国籍、経歴とか) ラーメン屋の住所(立地、客層、周囲の建物)などを調べる。 最近はホームページなりツイッターでそれぐらいは、まぁ比較的簡単に調べられる。 そこから何らかの関連性を類推して裏を取る、という流れになります。 たとえばそのラーメン屋の店主の経歴から会社Aというのがでてきて、 そのメディアとその会社Aがねんごろになってたら察してやるということです。 まぁ、ラーメン屋ぐらいの話題だと、そのメディアに対しての既存の信用度で篩にかけますし そもそもこの場合は、本当にうまいかどうかが我々にとっての焦点ですからね。 ま、こんなのはただの例です。 そしてここまで書いといて、いまいちまとまんないのでなげる。 間違ったこととか変なこと書きたくねぇって思ってると更新意欲が萎むんだ。 最近こんなのばっかり書いてるな、自分。
「情報の正誤」の話の続きですが、こんな記事を見つけました。
先のjava7の脆弱性に関する話で、update11で直ったかどうかに関するお話です。 ttp://did2memo.net/2013/01/15/java-7-update-11-cve-2012-3174-cve-2013-0422/ (「Java 7 Update 11でも脆弱性は残っているから引き続き Java無効化を」という話について | 情報科学屋さんを目指す人のメモ) この記事さんでは、複数のニュース記事によってu11に対するニュアンスが異なってしまっていて 各々によって印象が大きく変わってしまうことが示されていると思います。 要は言語ギャップと認識ギャップの重なりによって、情報が歪んじゃった感じ。伝言ゲームですね。 この場合を例にすると Immunity(情報源) → CERT、cnet、ITmedia(メディア) → 個人ブログ、ツイッター、個人 → 個人 と、こんな感じの伝言ゲームになっているわけです。 メディアの役割というのは、翻訳、要約になるのでしょうか。 特にこういうコンピュータ系の話題の場合は、情報源を直接参照してもよーわからんことは多いですし メディアの持つ速報性なんかも重要になってきます。こういう話題は特に。 でも、ちゃんと理解できるなら情報源を確認したほうが情報の正誤はわかりやすいですね、というお話。 なんですが。 情報源とメディアが同一の存在の場合は、どうなるでしょうか。 なーんて考えつつもう1月中旬かよ、はえーよ。 クソ寒いので布団でたくないです。春眠暁を覚えず。
毎年いつもの。おみくじです。
ほとんどコレしか更新してねーんじゃねーか?てなぐらいですけども。 去年:小吉 学問:雑念が多すぎる 恋愛:相手を見極めよ 待ち人:おそいが来る 今年:小吉 学問:基礎を見直し勉学せよ 恋愛:感情を押さえよ 待ち人:来れども遅し 限りなく凶に近い小吉ではなかろうか。 毎年同じ神社いってますが。 生まれてこのかた凶ひいたことないし、入ってないんじゃないでしょうか。 というか小吉って凶以下も含んでるんじゃないですかね。 んなわけで。 だいぶ遅くなりましたが、政権交代しましたね。 投票率は残念ながらも、大手マスメディアへの不信が広がっているということもあるのでしょう。 で、これでメディアの報道の仕方も少し落ち着いたものになるかと思ってましたが ぜんぜん懲りてないどころか、選挙前から随分酷い報道を続けているようで。 ちょい前までは、早く何とかなんねーのかよ、とか思ってましたが(人事みたいですが こうなってくると、放っておくのもいいんじゃないか、と思うようになってきました。 要するに「受動的に入ってくる情報は信用するべきではない」という教訓をみんなで共有するための 反面教師というか、そんな存在としてしばらくおいといても害にならないかな、と。 なんかアニメカービィのテレビ回を彷彿としますな。 あの世界の住人、馬鹿にしてたけど馬鹿にできんな。 騙されっぷりから言うと日本国民も閉口しないといかん。 まぁ、テレビ事業もこの先は低空飛行な気もしますし 信頼を回復するころにはテレビなんて要らないなんて風潮になってないとも限らないわけで。 ○日新聞や○日新聞も、最近では記事を見かけるたびに あー、こいつらが批判してるのはやるべきなんだな、賛成してるのはやるべきじゃないんだな、とか 自分でも「そりゃないだろ」っていう判断基準になりかけてます。ひどいね。 とりあえず、しばらくは新政権を注視するにあたって、マスメディアの報道の様子も観察しておきたいところ。 この調子だと、どうせまだまだ自重しないでしょうから、見てる分には面白いとは思います。 あと、あけましておめでとうございました。 今年も良い年になりますように。 まぁ、自分に対して祈るんですけどね。
18日参議院決算委員会を一部視聴。
もうなんか…開きなおってんなー、って印象。 答弁が質問に対して答えないのは相変わらず、とにかく答弁一回目は正当化。 ちゃんと答えろといわれても答えたり答えなかったり。 まーわかってんですよね。10月半ばまで現政権のままという時点で勝たれてるというか。見てて気分悪いです。 どこそこの党が悪いだの議論するのは結構ですが。 投票するのは国民自身です。メディアの酷さは言うに及ばずながら それを踏まえてなお自分の投票に責任もたんとダメよ。 そこは他人のせいにできないし、したらだめでしょう。 要するに。投票するなら、その人のことを自力で知るべきであって。 投票したなら、その人の言動を監視しないとね。 んでもって、その善し悪しを自分のアタマで考えられるぐらい分別つけていかんと。 てーなコトを思うのは、両親が、自分で投票した人のことをなんとも思っていない(何も知らない)らしいからです。 ○日新聞とってるしなぁ。 いやぁ、てかその人が当選してるってコトは、そこらの地域住民みんなどう考えてんのかミニマム気になる。 でもまぁ、私はヒトのことなんともいえないんだな。前回、いろいろ理由は言えるけど結局投票行かなかったし。 自分の票に責任もてないなーって思ったのが一番の理由だったわけで。 …当時の自分のアタマには、政治家を調べる方法に、うぃきぺでぃあ先生しかなかったんです。 そのあたり、今はやっぱり反省。偉そうに垂れ流せる口上なんざ持ち合わせてないわけです。 まぁ、総理が言うところの「すぐ」()に解散総選挙なわけですから 一応みなさまも心構えだけしておいては如何でしょうか。
24日参院予算委員会視聴。山本議員、岸議員、山谷議員の質疑のみ。
コメなしで視聴後にニコ動でみてみた。 うーん。不特定多数系の常ですが、玉石混交なので。 本当にごくごく稀に、はっとさせられる意見もあるときはあるのですが 明らかに間違った内容のコメと、それを扇動するコメがあるのが何とも言いがたいところ。 通貨スワップ協定の件とかね。 ちょっと思ったのは動画の序盤にのみ「ジミンガージミンモー」が流れてたことですかね。 ほとんどの人は国会見る気になっても序盤しか見ないから最初に流しとけばいいってことなんでしょうか。 で、肝心の中身。 まず、問責提出が予告されました。次週水曜日らしい。ちなみに会期は9月8日です。 韓国外交の幼稚さと、その幼稚な外交になめられてる民主外交の様子がよくわかりました。 というか内政で民主党も同じことやってるんだね。都合の悪い法案、申請は無視しているようなので。 争いは同じレベルの者同士でしか発生しないってAAを思い出しました。 尖閣は、政府関係者以外は何人も上陸を許可しないという文言を盾に、日本人は上陸させない方針のようです。 中国の船舶が上陸してきたら、天候が悪かったから上陸を阻止できなかったということにするようです。 2年前に比べて日本の譲歩がレベルアップしちゃったので、この次はどうなるでしょうね。 まあ次は民主政権ではないでしょうけども。 西やんの副音声よく聞こえますな。動画だとマイク経由で拾ってるからわかんないですが、実際かなりの声量なんじゃないでしょうか。 あと、いつもカメラの枠内に写ってるイメージ。席の位置も計算済みとかなんですかね。 あと委員長ひどいですね。
23日の衆議院予算委員会
ttp://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=42074&media_type= 石破議員と下村議員の質疑を視聴。 探しゃニコ動なりつべなりにあがってそうですが、初見はコメ見たくない&画質良くて広告なくて早いので。 見ない人用に説明すると、尖閣の件で政府答弁「法令に基づき適切に措置いたします」()といいつつ 「どの法律を適用するか誰が決めたのか」と聞かれると誰も答えられませんでした。という話がメイン。 相も変わらず小難しいことをいっているようで、まったく質問に答えない政府答弁と対照的に 質疑は非常にわかりやすく耳に残った印象でした。石破議員の説明すごい力強いのに丁寧。 あと目力すごいなあれ。防御力下がりそうだ。 にしても。一色さんあれこれの経緯云々を聞いていると、海保に思い入るところがあります。 その辺は22日参議院決算委員会の佐藤議員の質疑でもきつく追及されてました。 尖閣のあれこれを個人的に掻い摘んで要約 ・強制退去(入管法65条、70条)の適用は国益に配しその者が他に罪を犯した嫌疑のないときに限る ・レンガ片投げられたけど公務執行妨害、暴行、建造物損壊(少なくとも嫌疑はある)ではないのか →被害なかったから大丈夫 ・過去の判例には投石が直接当たらなくても公務執行妨害適用された最高裁の判例があるが →巡視船に対するものだったし被害なかったから大丈夫 ・公務執行妨害に当たらないと決めたのは誰か →現場 ・誰が65条適用する(どのような国益に資する)と判断したのか →検察…(速記停止)…政府…(速記停止)… ・11管区保安本部長、沖縄県警本部長ではないのか →(速記停止)…(速記停止)…調べます ・現場が国益上の判断なんてできるわけがないし、させるものでもない。そういうシナリオがあったのでは →調べます 65条適用の責を現場に押し付けてる構図。 退去させたのは現場の指示ということにしたいようで。 んなことしてるとまたsengoku38さん出てくるで。 情報の速度はともかく、マスコミがあてにならないので、特に今は国会を注視すべし。 といっても政府答弁は…って感じですが。問題の要点がはっきりわかるかと思います。 今日24日の参議院予算委員会では尖閣竹島集中審議が行われましたので、これも視聴中。
HDDクラッシュなんて都市伝説だと思ってたよHAHAHA
今もなんか不審なんですよね、なんか一部のデータが保存したのに消えてるし 増税なんやらでなんか書こうと思ってた気がしましたが、私が書くよりわかりやすいとこのリンク張ればいいですね。 そもそも今から何か書くには今更、遅すぎです。 ttp://kokkai-aa-yaruo.seesaa.net/article/277856677.html ttp://www.youtube.com/watch?v=Pk6W5GFUAnU 最近の2chの世論みてると、論拠のない批判・情報・反応が多く 論拠があっても、情報元をたどるとソースが不明な情報があったりします。 まー板によるでしょうけども。 玉石混交なのは今更いうまでもありませんが。 内容や意図を精査もせずに政策についてあれこれいうのはよろしくない。 今のテレビや新聞が信用ならないのはわかってますが かといって、ネット上の根も葉もない話やら人気動画やらを鵜呑みにするのもまずいです。 何がいいたいかというと国会見るのたのしいれす^p^ 見るの一部だけだけど。というか楽しくないけど。ぜんぜん楽しくないけど。 見る度にライト状態だしなぁ。
久々がてら気になったので。
政治と宗教とスポーツは荒れる三大話題ってことで忌避してましたが。今日は政治の話題です。 まぁ忌避するも何も、んなこと偉そうに語れるぐらい殊勝な人間じゃないんですけどね。 でも、そうやって自分で考えないのは国民主権の線から考えると不適切じゃね? と最近思い始めたので、ちょくちょく情報収集だけやってました。 今回、それでどうしても世論に納得いかない部分があったので、徒然。 まずいっこめ。 大飯原発についてですが。 初めに、原発に対する私のスタンスですが、今はフィフティーです。 原発に対する思想は、脱原発(徐々に、というのも含む)もしくは原発依存の選択肢があると思いますが わたしは今のとこ情報不足でスタンス決められません。 なんでかっていうと、まぁ両者の立場から何をしなきゃならないか考えてみましょう。 まず脱原発を指針とする場合。 最終的には、原発をすべて廃炉として、新しい発電方法を開発することになると思いますが。 二つ問題があります。 まず、廃炉にするだけの十分な時間がたっていない、また十分な技術が確立されていないこと。 そして、新しい発電所を作るための技術も時間もないこと。 思いついたのをシンプルに言うと(具体的なソースは調べきれてないのですが)こんな感じなので 脱原発を指針とした場合、どうしても時間かけて少しずつ議論していくことになると思います。 とりあえず即原発どうにかしろとかいう考え方は、当たり前ですが非現実的ということです。 で、それなら技術進歩に時間かけてる間の原発どうするの?が今回焦点だと思いますが、ちょっとそれはあとで。 次、原発依存とする場合。 今日この頃で原発依存すべきだと声高に言える人は、まあいないと思います。 ただ、調べた感じだと安全以外に問題視されているところが見つからないんです(知ってる人いたら教えてください)。 そもそもなぜ原発が推進されてきたか?という歴史に立ち返ると オイルショック時の田中角栄内閣において急激に推進した過去があります。 オイルショックについては、諸説あるようですが、表向きの理由は石油依存からの脱却でした。 あとは、温室効果ガスの削減なんかが原発の利点として挙げられると思います。 とにかく、この立場の場合は安全性の確保と地域住民の理解を得ることが課題でしょうか。 こっちのスタンスは国民感情的に難しいでしょう。 私がフィフティーなのは、今はどっちも見当がつかないからです。 (=何もすることがない、ではないですが。) で。 今回、私がどうしても納得いかないのは、脱原発でも原発依存でも どちらにしても大飯は稼働しなければならないと言うに足る論拠があるからです。 この問題になってるのは脱原発、原発依存とかそういう点が問題じゃないです。 夏の電力不足解消のためです。 ここで陰謀論出す人はお門違いです。 確かに、関西電力も怪しいこと言ってます。当初大飯四機稼働させても賄えないと言っていたのが、あとで意見変えましたからね。 でもそれは言っても仕方のないことです。確たる証拠がない以上、疑っても仕方がないのです。 逆に考えるとわかりやすいですが。 じゃあ仮に、大飯を稼働させずに停電したら納得できるのでしょうか。 そんな馬鹿な話はないです。 停電による人命リスク上昇率と原発再稼働における人命リスク上昇率、前者のほうが重いのです。 このリスクの差は、数字でこそ出すことはできませんが。 そもそも、原発再稼働で安全性が問題だと言っている人は、原発というものがどういうものか理解できているのでしょうか。 原発は稼働状態でなくても、使用済み燃料を冷却しなくてはなりません。 よもやお忘れではないと思いますが。あの大変な災害が起きた時も、4号機は点検中のために停止中だったということを。 要するに、稼働していても冷温停止していても、十分以上のリスクがあるのです。 もちろん、稼働中は容器内も温度が高まっているので その分レッドゾーンに到達する時間は速くなるため、その分のリスクは上昇します。 が、どちらにせよ重要なのは冷却と非常電源の存在ということになります。 日本にある54基の原発は、そこにあるだけで危険性があるということです。 つまり、大飯の再稼働反対論とは、単なる感情論にしかならないのです。 もしこのまま、原発以外の発電機のみで電力を賄うことになった場合、電気代はまず間違いなく上がります。 停電が起これば経済損失は免れません。エアコン切れによる熱中症患者が電気のない病院に行くことになります。 最悪を予期するならば、ここで地震が起こって稼働していない原発がレベル7になって、電気もないから阿鼻叫喚です。 だからせめて電気が欲しいので再稼働です。 あと時々、利権がどうの言う人がいて、もちろん不満を感じないわけではないですが この問題に限ってはそういう問題じゃないです。 その嫉みのツケがまわってくるのは、我々なんで。 スタンスはともかく、一応現実的に考えると とりあえずは現在の原発を(安全性が高いものを優先的に)再稼働し 原発以外の発電で十分な発電量を確保できる見当がつき、 かつ原発を安全に廃炉、使用済み核燃料の処分ができる技術なりなんなりがでてきてから 徐々に自然的に原発から抜けていく、ということになるでしょうか。 およそ20~30年ぐらいが目安でしょうか。もっとかかるかもしれませんが。 これでも、現状の原発における安全性の定義、十分な発電量はどのように賄うのか等々 問題は多いので、今の見込みではこの見積での実現は難しいことと思います。 消費税論についても書こうと思いましたが、また後日。 最後に。 ここで書いたことは私が調べて適度に噛み砕いて書いているので、必ず情報元は自分で調べてください。 調べない場合の信用度は6割強です。 私が調べた情報が間違ってるor偏ってる可能性が2割、私が文章に落とす過程で間違えた可能性が2割とすると、そんなもんでしょう。 |